「葛藤の時代」と「混沌の時代」
トップページ > 「葛藤の時代」と「混沌の時代」

「葛藤の時代」と「混沌の時代」

2018年01月17日(水)10:25 PM


⚫葛藤の時代
アンドロイドの仕上がりが、かろうじて人間と区別できる時代では、アンドロイドの「人権」を巡って議論となるでしょう。
やがてアンドロイドが、容姿も能力も、性格(穏やか)でも人間を上回るようになると、人間の立場は危うくなります。一部の人間を除いて、人間は職場を追われ、家庭を追われ、余暇、趣味、芸術が残された世界になるかもしれません。
※人間でないものを「家庭」とする人たちは増加するでしょう。
最後には「人間である」という既得権益が残るでしょうが、これは人権と摩擦があるため、やがて風化することでしよう。

※移民の権利を巡る議論と同様の構図です。米での民主党と共和党と同様の構図です。
「旧き良き日」の思い出は大切にしつつも、時代を逆行することはできません。

他者の流入が現れる時はいつも、社会は葛藤します。自身の居場所を奪われるのではないか、秩序が乱れるのではないか、と新興勢力に不安を抱きます。これは受け入れ側の認識の問題です。

困難な時代ですが、他者の先人たちは様々な知恵にて対処してきました。
①時代の流れには逆らえない
そもそも他者の流入は、必要があって受け入れ始めたものです。動き始めた社会システムは、拒んだからといって、容易に逆行できません。

②give and takeの経緯を再確認する
移民であれば、介護の現場での人手不足から、外国人を受け入れてきました。労働力の助けとして、あるいは人間関係のストレスの防護として受け入れた経緯を思い出すと、それほど腹立たしくは思わないでしょう。

③他者との「相違点」でなく「共通点」に注目する。
相違点を探せば、険悪になることは必然です。和解を目指すならば、共通点を探します。
そもそもアンドロイドとは、人間に似せて人間が創った、いわば子供ですから、概念としては共通点の集合です。
※同族嫌悪とは、まさしく受け手の認識の問題です。

④旧き良きものは、人間以外に引き継いでいく
日本の伝統文化でいいますと、多くの外国人がこれを引き継いでいます。伝統は再解釈され、少し形を変えて継承されます。これは文化の常です。


⚫混沌の時代
当初はぎこちなかった人間(自然の創造物)とアンドロイド(人間の創造物)の関係は、やがて円満になり、人間とつくり物との区別は曖昧になっていきます。人間と人工物は混ざりあっていることが常です。

※現代のアメリカにおいて、元奴隷の家系を見つけることは困難でしょう。人間とアンドロイドが交配可能となるのは、まだまだ遠い将来です。それでもアンドロイドは家族や社会の一部として浸透し、人間と人工物(AI、義体)の境界は曖昧になるでしょう。

またアンドロイドは自身のアイデンティティーに悩んだとき、「人間の道具」とは思わないでしょう。良きアンドロイドは、自身を「人間の友人」と思い、人間に憧れを持って近づいていくでしょう。
混沌の時代には、人間は死ぬことはなく身体の半分が機械化されており、アンドロイドは人間と区別がつきません。
そこで「本来の人間とは何か」「死とは何か」が曖昧になります。人間とアンドロイドはアイデンティティーの危機を迎えます(人間性の迷子)。

※「本来の日本人とは?」と同様の葛藤です。人間社会は常に変化しますから、常にアイデンティティーの危機にあります。

この危機に対し、先人は「我々はどこから来て、どこへ行くのか」と常に模索していました。その好奇心が人類の原動力となったのかも知れません。
人間の欲望と不安に限りはありませんので、容易にアイデンティティーの迷子に陥りますが、「自己満足」とはそのヒントになります。
「我思う、ゆえに我あり」と、自身を肯定することが起点となります。来し方、行く末を理解することは重要ですが、圧倒的に実在するのは「現在の一瞬」です。
これは物質的な身体においても同様です。我々の身体を構成する粒子は、すべて過去の別の何かに由来しています。人間とは、自然の一部、無限の連鎖の一部に過ぎません。けれど同時に、「身体」や「顔」とは、宇宙を凝縮したような、圧倒的な存在感を持ちます。
漠然とした不安に駆られる必要はなく、今の自身の顔や身体に、根拠なき自己満足を持つことが宜しいでしょう。


※人間は自然の一部ですから、人工物もまた自然の一部に過ぎない、その境界線に拘るのは人間のみかも知れません。


危機の時代に備えて、人間とは、顔とは、生死とは何かを、再解釈しておくと助けになるでしょう。



«   |   »

過去の記事