医師の目と患者の目
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医師の目と患者の目

2018年01月17日(水)9:49 PM
●医師の目と患者の目 現代日本では死体、肉片を不浄なものとして扱いますし、みなさんも常識的にそれが正常な認識だと思うでしょう。しかしそれは認識に過ぎない、というのも事実です。 人間であり人体を真に理解するには、こうした「常識」という認識を取り外す作業が必要です。 ※医師は大学2年時に解剖実習を行い、人体を物体として認識するトレーニングを開始します。ここで一般人から専門家へと教育されます。 こうしてショック療法に始まるトレーニングは、その後、何十年と繰り返され、気がつくと人体を物体として認識することが、医師の「常識」となっております。 一般人としての感覚を失ったことは、専門家になったという証明でしょう。ここでいう感覚とは主観のことです。客観的には患者の気持ちを理解することができます。 医師と患者の認識のギャップとは、第一には情報量の差でありますが、背景にはトレーニングの歳月があります。 あなたが患者の場合は、さらに主観があなたの目を曇らせます。 「自分の顔はきっと良くなる」 「手術までしたのだからそうであるべきだ」 「費用をかけたのだから、絶対に良くなる権利はあるし、そうであるべきだ」 人間ですから、そうした心情は理解できます。夢を見ることは各人の自由ですし、自由診療ではそのコストを支払っていますので、期待する権利はあります。 ただし、希望的な観測と結果(事実)は別でしょう。そこには身体というお肉があるだけ、手術で行うことは切って縫うだけの作業です(一般外科では、癌を切除して縫うことが、ほぼ手術のすべてです)。 ※ここで医師と患者、という比較の構図自体に誤りがあることに気づくでしょうか。そこにあるのは人間と自然という構図です。医師も患者も全力を尽くしますが、結果は自然が決定します。  経験豊富な医師は自然の制御を心得ていますが、それでもしばしば敗北します。患者の立場としては容認しがたいことですが、失敗がない医師とは、未経験の学生のことを指します。そうでなければ嘘つきということになります。 「整形マニア」の人は、人体を物体と認識するトレーニングを経験していますから、手術に対してやや専門家に近い側に立っているといえます。しかし解剖的に誤りであったり、主観が目を曇らせていることが多いです。 ※期待過剰でなければ美容クリニックに行かない、しかし現実はその過剰な期待に少し届かないというのが、美容クリニックの悲劇でしょう(適度な期待は叶います)。 患者さんが「私はこの手術でキレイになると思います。そうHPに書いてありました」というとき、これはどこまで正しいのでしょうか。 これを理解するには、手術内容であり、解剖を理解し、キレイな顔の定義を確認しなければなりません。こうなると一般人の手には負えませんから、餅は餅屋ということで、専門家を見込んで依頼するわけです。 本来の医療であれば「専門家にお任せします」で宜しいのですが、消費者の権利意識が強い時代ですから簡単にはいきません。ましてや自費診療ではなおさらです。 医師と患者、という構図は分かりやすいですが、真実ではありません。安易な方便を真実と誤解することは、お互いにとって不幸な結果になるでしょう。 インターネット社会では、情報が独り歩きするため、こうした誤解が多くの摩擦を生んでいます。「顔をお買い物する」という常識(認識)を一度、取り外して、自然に人間(患者と医師)が挑戦するという、より真実に近い認識をしてはいかがでしょう。 当サイトは、患者と医療者に対する解剖学の教育を目的としています。情報のギャップが解消することで、引いては患者と医師との摩擦が解消することを願います。 ⚫自己手術 整形マニアの人は、少し専門家に近い認識を持っており、自分の手術を直視できることもあります。 ※知識をもつため、自分で自分の術式を決める人もおりますが、残念ながら解剖的に間違っているケースが多いです。 慣れた外科医はブラックジャックさながら、局所麻酔にて、自分で自分の身体を手術することができます。 見えるととと手が届くことが条件ですから、下半身を切って縫うことは難しくはありません。 ※「目」以外の顔面に対して、注射することも困難ではありません。 私は新しいメスやレーザーが出たら、まず自分の脚にてその切れ味を試します。 メーカーの人は、「なぜ自分の脚を切るのか」と不思議に思いますが、私は「なぜ自分の脚を切らずに、切れ味が分かるのか」と不思議に思います。これは私が人体を物体とみなしているからでしょう。


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