2050年の人類に問う。2200年に生きる私は幸せか。
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2050年の人類に問う。2200年に生きる私は幸せか。

2018年11月21日(水)9:16 PM
2050年の人類に過去メールを送信する。
2050年の人類に問う。2200年に生きる私は幸せか。
 
私は今年、2200年で150才(記憶年令)になる。
人間の成分は20%ほどだが、自分では人間だと思っている。
現在の身体は3体を所有しており、それれが職種を持っている。
 
ここで簡単のため、3体の名前をAさん、Bさん、Cさんとする。
AさんとCさんは記憶を共有できる。
 

Aさん  登山家(60才 男性)
記憶年令(内面)は60才ですでにベテランの域だが、身体パーツは5年前に新調したものであり、20才相当である。
熱血漢のイケメンであり、美人の妻(アンドロイド)と可愛い息子(アンドロイド)をもつ。
 
 
Bさん  小学生(13才 無性)
記憶年齢も身体年齢もともに13才。義務教育期間が延長されたため、まだ小学生である。
記憶を共有していないので、算数と漢字を勉強中である。
現代は男女の概念は流行っていないので、無性を選択している(性器はない)。
アンドロイドの両親は不仲だが、「ケンカできるなんて、何と人間らしいことか」と私は思う。人間らしさを失わない両親に対して尊敬の念を持っている。
 
 
Cさん  工学研究者(150才)
私のおそらく、原型となりうる記憶を有している。
覚えている限りでの略歴は以下のようになる。
 
80年前までミュージシャンを目指し、その後、製造メーカーに就職して50年勤務した後に退社した。
退社したのちに工学研究者として創業し、会社はその後、G社の傘下に入っている。
記憶は100年前まで遡れるが、それ以前となると曖昧で、webに残る購買記録から察するに、それ以前は主婦であったと思われる。そう、現在のこの身体に性別はない。
身体は15年前に20才(無性)のアンドロイドにアップロードしたため、現在は35才相当である。
アップロードをきっかけに気持ちが若返り、同時に趣味のサッカーを始めた。
サッカーの技術はエンハンスメント(課金制能力強化) により上達し、いまでは拡大したパラリンピック(部分アンドロイドの部) にて、日本代表選手をつとめている。人間以外にも成功の道が開かれている、非常に良い社会である。
 
 
90才の血縁的な娘と、50才のアンドロイドの息子がいるが、それぞれ自立して新しい家族がおり、最近は疎遠である。
こうした関係は2020年の古代にもあり、「離婚」という、新しい自分をスタートする制度があったという。
 
 

AさんとCさんは記憶を共有しているため、登山家と工学者を兼務しているような楽しさを味わうことができる。
 
しかしそれが業務上の不都合(記憶の混同)を生じたため、記憶の共有はここ5年間、行っていない。
またAさんはCさんのレジャー目的での「代替アンドロイド」であったため、身分証はCさんのものを利用していたが、こちらも不都合のため、また法改正のために7年前から独立した人格として登録されている
 
 
Cさんは当初、子育ての経験を活かしてBさんの人生をスタートしていた。物分かりの良い溌剌(はつらつ)とした子であった。
しかしやがて大人びた人格が両親に疎まれ、しばしば記憶を削除(アンインストール)するようにしていた。Bさんの両親いわく、「アンドロイドのようで、子供らしくない」とのことであった。
 
 
Cさんは目下、自分の主婦時代を振り替える「考古学調査」に熱心である。自分探しとは、いつの時代にも興味深いものである。
 
またCさんは、育ち盛りのBさんとのチャットを楽しみにしている。また婆臭いアドバイスをしないよう、チャット時には50年以上前の記憶に対し、使用制限をかけている。
友人からは「大事な記憶を失っている」と非難されるが、Bさんからは「まるで若者みたいな感性を持っている」と称賛されている。
こうした2つの反応は、人間にはお決まりの反応であるから、特に興味を感じない。
 
 
Cさんは3年前まで、Bさんの人格の所有者であることを覚えていたが、種々の不都合と、その時の気分から、「Bさんの所有者である」という記憶に自身で制限をかけた。それ以来、お互いの幸せのために疎遠となっている。
 
 
 
※「その時の気分」とは、2200年から「人間らしい」との理由で流行している。
 
このためCさんは、AさんやBさんと、まるで他人のように新鮮に会話することができる。
※AさんとCさんは、同一の人格と記憶をコピーされているため、同時に、それぞれが独立して行動ができる。
 
Cさんは「考古学(自分探し)」に熱心である。自分の日記をみる限り、ある時期においては、記録に愚痴が多く、150年以上前の記憶に対してはあまり興味が湧かない。
また血縁的な両親についは記録も記憶もないため、Cさんにとっては想像上の人間となっている。Cさんは過去(記憶以前)の自分や両親よりも、アンドロイドであるAさん、Bさんとより親密であると感じる。人間かアンドロイドかの区別もつかないし興味もない。
 
記憶や人格は神経インプラントによってエンハンス(強化)されている。その後はアプリによって毎年、アップデートされている。
 
 
AさんとCさんは成人しているため、購買力に応じて、新しい顔と身体を選ぶことができる。
顔と身体には新しいモデルにあまり変化はなく、Cさんはアプリによる内面的なアップデートに興味をもっている。
 
安全上は、穏やかで容姿端麗で病気のない、2150年モデルが推奨されている。
最近ではレトロ志向であるため、より人間らしい喜怒哀楽があるという理由から、2180年の「野性的モデル」が「旧くて逆に新しい」と人気だ。
 
なんとストレスを加えると怒ったり、できない作業があったりすることがあるという。非常に人間的なデザインである。 さらにはAIと人間という概念上の区別があるという。
※これは2150年当時の価値基準であり、これら区別のない2200年には無意味化している
 
 
 

 
50年前までは、人間の能力を向上するエンハンス(強化)が流行していた。
この流れとともにアンドロイドが社会の中心となり、アンドロイドの人権問題が皆の関心事となった。
また感覚や思考が常にネット接続されている状態ではヒューマンエラーがあり、事故が頻発して社会問題となった。また感覚や思考が煩わしいとの理由から、重大な決定はAIに委ねられ、多くの人間たちが感覚に制限をつけ始めた。

またエンハンスされた人間たちが、人間らしくないという意見もあった。
このため50年前から一部の人間の間で、機能と感覚に制限をつけることが流行りはじめて、その後、エンハンスを好む「強化派」と、それを善しとしない「制限派」に二極化している。

これらの主義や人格は、個体を交換することで交換可能である。
容姿も職業も人格も、自由意思で選択できるため、いまや人格や人間の定義は曖昧である。

脳も身体も多くは人工物で代替している。人工物の最新モデルはタンパク質からできており、生物か機械であるかは、その定義による。

2100年代から、「人間らしさ」を巡って長い議論が続いているが、その質問事態が無意味しているとも、あるいはその逆で永久のテーマであるとも言われている。私はこの議論にあまり興味がない。
 
私は人間の一部には興味があるが、それ以外の部分には興味が持てないのだ。こうした興味や好みは今後100年の人生でまた変化することだろう。


ある成分分析によると、2200年現代の人類の物質的な構成要素の10%が人間由来であり、文化や思考の30%が人間社会に由来すると言われている。しかし人間の定義も分析方法も曖昧である。
 
 

 

技術と社会の変化に伴い、法整備も変化した。

2080年 アンドロイド人権保護法、アンドロイドが投票権を取得

※同法のもと、ヒトとアンドロイドの平等が約束された

2090年 人類会議の議決権へのAI参入(2130年 完全委譲)

2095年 人類が「絶命危惧種」に指定、「人類保護法」の制定

2100年 危険行動回避法

2200年 性別変更や年齢変更の自由に制限を加える、「一部制限法」が制定

2130年 ストレス防止条例

2135年 冒険行為の一部禁止 および 恋愛行為の一部禁止 

2200年 アンドロイド化を拒んだ、最後の純粋人類(Nさん)が死亡し、純粋人類が滅亡する。

 


※人類の繁栄にとって、「人間らしさ」に対して制限するメリットがデメリットを上回った


※AIは人類を「絶滅危惧種」に指定し、人類の保護を訴えている。AIと人類は、人類の保護がお互いの最優先事項であるとして、ストレス防止条例の採択に至った。
 

※迷惑行為や冒険行為に対しては、「人類の繁栄にリスクがある」として、制限を加える新法が施行された。

下記の行為が違法とされている。


・自殺
・犯罪
・ストレス
・危険行為につながる行為
・危険行為につながるとAIにて予期された行為 (危険行動回避法)
・新たな冒険行為 (同法)
・新たな対立行為 (ストレス防止条例)
・新たな恋愛行為 (ストレス防止条例)

※なお新たな家族行動は、上法に抵触しない範囲でのみ許可されている。これは2150年に制定された「人間らしさ再検討委員会」の決議を根拠としている。家族行動には今後、新たな制限がつくものと思われる。

これらは不法行為としてペナルティーを課されるが、これら行為やペナルティーが「人間らしい」ということで、新世代からは支持されている。

私はストレスが嫌いであるし、世の中が平穏であることを好むし、人類が滅亡することはしのびないので、人類保護法やストレス防止条例を尊重している。

 

管理社会を好まない層、すなわちエンハンス(課金による強化)を好む層である「人間らしさ強化派(マッチョ派)」がしばしば無茶をすることがある。これを支持する政党が「人間らしさ強化党(マッチョ党)」である。

またこれを批判する政党として「人間らしさ制限党(リベラル党)」があり、長らく2大政党の政権交代が続いている。その構成議員は、どちらも大部分がアンドロイドである。

旧世代の一部には、「人間らしさ制限党(リベラル党)」とは、人間勢力を削ぐためのAIの施策と思っている人がいるが、そうした対立はかなり過去に終結しており、新世代は興味がない。私もあまり興味がない。なお公然とした批判や対立は不法行為であり、法律の範囲でのみ批判や対立が認められている。

 

※一説では実態は、同じ人格に由来する2種の人格が、2つの派閥をロールプレイ(枠割の演技)をしていると言われている。ストレス防止法のもと、公然と対立や批判はできないが、こうした対立が無くなっては、人間性も崩壊すると、暗黙に了解されている。

 

様々な新法によって行動が制限されることはイライラすることもあるが、これはストレス防止法に基づく最新アプリによって神経インプラントに伝わり、0.02秒以下で消去されるため自覚がない。

新世代のアーティストは「喜怒哀楽」を演じることができる人もいるというが、本当だろうか。あったとしても、それは100年前の、生活に必要であった「本当の喜怒哀楽」ではないだろう。

※なお、「本当の人間」という言葉は2090年の流行語となり、それ以降は死語となっている。

 

「人類保護法」が制定された私たちの世代では、まだかろうじて「危機感」という概念が存在し、またAIと人類という「対立」の末に「協力」した経験があるため、「人類保護優先」という意識が頭から離れず、「人間らしさ制限党」に票を投じている。しかし本心では興味がない(私には人格が複数あるため、「本心」が一つではない)。

新世代には「旧世代の考え方」を伝えることがどうしても難しく、「最近の若い人は…」が口癖になっている。この言葉が流行語になると困るので、私はできるだけ流行しないように願っている。

 

2050年の人類に問う。2200年の私たちは幸せであるか。私の一番の感心事は、2200年に生きる私が幸せなのかそうでないのか、という疑問である。

AIのない2020年代の人間には、今の私が幸せであるか否かについて、興味深い意見が聞けるのではと期待している。



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